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珠紀さんのマザーテレサ体験記

本稿は、1994年8月14日に珠紀さんが教会にて体験を話されたものを清書し、日本キリスト教団八千代台教会の「恵みの時」(第99号)に掲載されたものです。マザー・テレサの施設でのボランティアの様子が詳しく述べられています。参考にして下さい。なお、紙面の都合により、一部省略したところがありますご了承ください。

「インドで出会ったイエス様」

(前略)

カルカッタから帰国してもう五ヶ月が過ぎようとしていますが、そこでの体験は、苦しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、喜んだことすべてが、マザーテレサをはじめインドで出会った人々によって、深く心に刻まれ鮮明で、私にとって忘れることのできないものとなっています。私はまだ未熟ですので、考えや感じたことを信仰的に深めたりすることはできないのですが、インドのカルカッタでいただいた経験をありのままにお伝えしようと思います。

まず、私がカルカッタへ行くことになったきっかけをお話します。中学生の頃から、将来何か自分のできることで、誰かのお役に立てることがあったら、と考えておりましたが、ちょうどそのころ八千代台教会の中学科の先生でいらした高野先生から、貧しい人々のために生涯を尽くして働くマザーテレサについてお話を何度となく伺い、それが私にとって大きな存在となり、心の中で膨らんでいました。この時に神様が私の心に呼びかけていて下さったのかもしれません。そのころからその思いがだんだんに大きくなっていき、看護学校で勉強している頃から、是非私も貧しい人の中でもっとも貧しく、すべての人から見捨てられた人々の為に仕えるマザーのもとで、共に働かせていただきたい、学ばせていただきたいと思うようになり、病院へ勤務して三年後にインドへ行くことを決めて、昨年(1993)の七月の末から、今年の三月の末までインドに滞在いたしました。

(中略)

私が宿泊していた安宿は、カルカッタでは有名な安宿街で、サダル・ストリートという所にありました。そこへはツーリストやボランティアを目的とした人たちが世界中からたくさんやってきます。今インドのお金は「ルピー」で1ルピーは約5円ですが、私は一泊百ルピーの宿に滞在しておりました。食事はぜいたくしなければ、1食十ルピーから二十ルピーぐらいで食べられました。

長い人ではボランティアをしながら二年近くそこへ滞在している日本人の女性もいました。その通りにはホテルやお店が並んでおり、路上で生活する家族や、赤ちゃん犬をたくさん生んだ犬の家族と道ばたで一緒に暮らしている一人暮らしのおじいさんもいました。裸足で貧しい身なりの赤ちゃんを抱いたサリー姿のお母さんや小さな子供達が、ツーリスト目当てにお金をねだっていきます。喜びを捨てる、という字を書いて"喜捨"バクシーシ、と呼ばれるそうですが、相手に善行を積ませてあげると言うことで、わりと堂々とした感じでねだってきます。ツーリストをだまそうとしている悪い人たちも居ますし、毎日真面目に働く食堂の人や煙草屋さんの人、ちゃーいやというインドのミルクティーのような紅茶ですけれども、朝早くからそのチャーイやさんのお手伝いをする子供達もいます。

今はもう、カルカッタにしか(インドで)無いと言われているリキシャーという人力車のがらがらという車輪の音や、その鈴の音のコンコンコンという音が通りを行き交い、日中は大変賑やかで、決して綺麗な所とは言えませんが、カルカッタらしい場所であったと思います。

マザーの住んでいらっしゃるマザーハウスへは、そこから歩いて約二十分。朝六時から始まるミサにともにより、その後ボランティアへ行き、お昼に帰ってきて午後には休息をとる。夕方のお祈りへ参加したときには、その後ボランティアの仲間と何処かの食堂で夕食をとり就寝する、というような生活を送っておりました。このカルカッタで、もう四十年以上も愛の働きを続けておられるマザーやミッショナリィズ・オブ・チャリティーと呼ばれる神の愛の宣教者会の活動については皆さんも本などで読まれてご存じのことと思います。

この修道会の誓いは四つあり、愛徳、清貧、従順、そして貧しい人々の中の最も貧しい人々に仕える献身、であるそうです。今では世界に約二百箇所の施設があり、約三千人のシスターがいらっしゃるということでした。何の見返りも期待せず、飢えや乾きや病を持ち見捨てられている人々の為に、兄弟や両親のようになってよく生きられるようにお手伝いをし、そのことによって真心をこめて喜んで神様にお仕えするこの方達は、本当に"世の光地の塩"であると思いました。町の中を歩く白いサリー姿のシスターは、暑い暑いカルカッタに吹く爽やかな風のようでした。

マザーにお会いしたのは、インドに到着して二日目でした。初めてミッショナリィズ・オブ・チャリティの早朝のミサへ行ったのですが、沢山のシスターがお祈りして並ぶ一番後ろの所で、小さくてまるい方をしたマザーが下を向いて一生懸命お祈りをしていらっしゃいました。そのときは信じられないくらいのうれしさで、本当に少しの間だけれども、これから一緒にお仕事をさせていただけるんだ!ここへ来られて本当に良かった、と喜びと感動で胸がいっぱいになり、涙があふれ出ました。

(中略)

毎朝ミサの後、ミッショナリィズ・オブ・チャリティの愛の運び屋さん達は、「主よ、あなたの平和を人々にもたらす道具として私をお使い下さい」というお祈りをマリア様の像の前で唱えてから一日の活動を始めています。ミッショナリィズ・オブ・チャリティでの活動は社会変革や慈善事業のために行っているのではなく、ただ倒れゆく人々を助けるかそうでないか、その二つの道のうち支えていく方を選んでいるだけです、とマザーはおっしゃっています。また、"また貧しい人に触れるとき、私たちは実際にキリストのお体に触れているのです。私たちが食べ物を着せるのは、住まいをあげるのは、飢えて裸の、そして家なしのキリストなのです"とおっしゃっています。私たちにはボランティアを通してキリストに出会ってほしいと願っておられるようです。貧しい人々の中にいらっしゃるキリストに出会うとは漠然としていて考えてもわからず、まずは飛び込んでみるしかない、と思っておりました。

カルカッタで働かせていただいた場所は、親がいなかったり、体が不自由であったり、栄養失調の子供の施設で「シシュ・ババン」という所、死を待つ人の家「カリガート」(ニルマル・ヒリ・ダイ)という所、心身障害者や駅の周辺で行き倒れになっている人々の為の施設「ナボジュバン」という所、ハンセン氏病の方達のための平和の村、と呼ばれる「シャンティナガール」の四つでした。ボランティアの内容は主に、シスターやブラザーのお手伝い、傷の手当や食事、入浴の介助、食器を洗ったり、洗濯のお手伝い、ベットを拭いて新しいシーツを敷いたり、爪切りなどです。夏期や雨期などで今の日本のような三十五度から四十度C前後の気温の暑さの中、午前中汗びっしょりになって働くと、もう午後は疲れ果てて眠ってしまいます。

国籍、宗教、年齢、職業、期間を問わずボランティアを受け入れており、世界中からやってるくる方達と協力しながら行います。施設にいるすべての人々が弱り果てているというわけではなく、元気に回復している人もいて、片言のベンガル後でお話しするのもまた楽しみでした。病院の看護婦の仕事とは違って、時間を気にせず念入りにケアできるところが私は一番嬉しいことでした。

(後略)