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インドのボランティア体験
真一さんのIIMC体験記
<IIMCで感じたこと>
<1>
「自分にもできる」と、そう思えた瞬間がどれほど嬉しかったか。大学生であり、社会科学系専攻である私は、いわば何も持っていないようなもの。その私が少しでも「何か」ができることが分かったとき、とても満たされた気分になったのでした。(あるいはこの考え方は傲慢なものかもしれませんが)
<2>
1995 年8月2日、私は深夜のドムドム空港から医師に電話をかけました。1時間後、私は彼の家にいました。私の心配事は唯一「もしかしたら自分は彼の仕事の邪魔をしに来たんじゃないか」という考えでした。医師はとてもフランクに答えました。「ボランティアの世話も仕事だし、何よりも、この活動に賛同してくれる人の存在が励みになる」と。彼がこのとき、私を心配させないためにそう言ったのかどうか、私には分かりません。が、私は後に、彼の言葉は本心だろうと思えるようになってくるのでした。
幸いだったのは、私と同じ時期にイタリア人の「医者の卵」がボランティアとして来ていたことです。最初に行った診療所に、私は彼と一緒に赴きました。若干遅刻した私たちは、間髪入れず診察にかかりました。診療所の前に山と集まった人だかりは、我先にと受付に押し寄せました。最初は後込みしていた私に、医師は初めて仕事を頼みました。患者−といっても傷口が化膿しているだけですが−の傷口に薬を塗ってやれというのです。おっかなびっくりの私の手つきを、やはりおっかなびっくり眺める患者、という図は、とてもおかしかったはずです。傍らで「医者の卵」も、慣れない手つきで傷の手当をしていました。
(インドの農村という環境は、傷口の処置をも困難にすることがある。まず、日本で風呂に入るところを彼らは沐浴による。特に沐浴所は流水でないこともままある。そこでは洗濯どころか炊事も行われる場合がある。その状況で、例えば「清潔に、よく洗って」と言われたとき、それが何を意味するのか。私が彼らならば、分からない自信がある、かな(ちょっと弱気)。だからこそ、医師のような人々が農村で医療活動し、「衛生」概念を波及させることに意味があるといえる。)
<3>
医師の奥さんは、貧困下にある子供達に奨学金を与える仕事をしています。その仕事の事務作業を手伝っていることも多々ありました。ここでも人々は殺到します。貧困を見極め、優先順位を決めるのは大変だ、と彼女は言います。
お金の計算なんかをしている私に、彼女は、今請願に来た母子の境遇を説明してくれます。それらは聞くに耐えないものばかりです。例えば、父親が職を求めてカルカッタの市街地に赴きそのまま行方不明となってしまった、等です。同じ時期にボランティアをしていたベルギー人の「看護婦の卵」は「21歳にして子供ができた」と笑っていました。
<4>
私はたまたまIIMC奨学生たちが集うお祭りに参加しました。子供達がみんな学生服を着ていることが印象的でした。私が片言のベンガル語で名前と日本から来たことを伝えると、子供達は拍手してくれました。この日は貧しい子供達が主役です。彼らの発表する出し物に自信がこもっていたように感じたことは、傲慢といえるでしょうか。
外国人の私が子供達に文房具を渡します。おぼつかない手つきで傷口を手当します。患者や子供達が私をどう見ているのかは、分かりません。遠い国から彼らに会いたいがためにやって来たお客さんかもしれません。先進地域の「スーパーマン」とか「金の成る木」かもしれません。
少なくとも、目の前の人間である「日本人」が同じ人間の「インド人」に指図されて右往左往しているのです。長い目で見ると、素晴らしい「つながり」を生むのではないかと思うのです。私はやっぱり、最初に聞いた医師の言葉は本心なのだと思います