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真美さんのIIMC体験記

今回のインド訪問は2回目となった。しかしながら、エネルギーがぶつかり合う町、カルカッタは、未踏の地であり不安を抱えながらの出発となった。

カルカッタのダムダム空港に到着し、一歩外へ出れば、そこはもう「インド」であった。懐かしさに浸る余裕さえ与えてくれない、しつこいばかりのタクシーの客引きがそう思わせた。

今回のたびは、アジア4カ国をめぐる忙しいものであったが、その最大の目的は、留学時代の友人に再開すること、そしてIIMCの子供たちに鉛筆を届けることであった。しかし、私の旅には計画らしきものはほとんど無く、ただあったのは、里親をしている畠中氏に渡されたIIMCのニュー・イヤーズ・カードだけであった。それでも何とか住所を探し、IIMCの事務所にたどり着く事が出来た。少々緊張しながらも玄関のベルを鳴らす。しかし、そんな気持ちとは裏腹にスポンサーシッププロジェクトの責任者であるバーナリーは、驚きながらも突然の私の訪問を大変喜んでくれた。後日、病院やプロジェクトの活動を案内してもらう事になった。

翌朝、私は地下鉄に乗り、バーナリーの家に向かった。そこでは医師であり、バーナリーの御主人でもあるマンダル先生は笑顔で迎えてくれた。まもなく、マンダル先生の運転する車で、村の病院へと向かう。道無き道を車が走り、その両側には、牛やヤギ、鶏、あひるなどが通り過ぎていく。人や車でごった返しているカルカッタの中心街とは違い、そこは穏やかでやさしかった。

病院に着き、ボランティアの看護婦やドクターに挨拶をし、内部を案内してもらう。そうこうしている間に、マンダル先生は仕事を始めてしまった。なぜなら、病院の入り口には、子供や赤ん坊を抱えた多くの母親が診察を待っていたからだ。何も無い村だが、病院も、そして、そこで働く全ての人が確かに村人に信頼されている事を感じた。

私は、この病院を後にし、ここから程近いIIMCの本部へと向かった。ここでは里親の援助を受けている子供たちが、ノートや教科書を受け取りに来るところとなっている。決して大きな事務所ではないが、まわりには田畑が広がり、日差しも人々も穏やかで、暖かい。中には食堂もあり安くて(1食約30円)おいしい。

午後私たちは畑中氏の里子であるインドラジット君(13歳、7Glade)に会いに行くため、また田舎道をゴトゴト、オートリクシャーで走り出した。途中、小学校や半分壊れかけたような大学が目に入る。着いた所は竹とレンガで出来た小さな家だった。約3畳ほどであろうか。聞くところによると、その賃借料は、1ヶ月 175Rs(約530円)だという。1ヶ月の学費が200Rs(約600円)以上必要となるのだから、勉強できない子供がたくさんいる理由が良く分かる。インドラジット君は、両親と高校生のお兄さんの4人家族で、料理、寝起き、お母さんの内職、そして勉強など生活のほぼ全てが、その家の中で行われているようだった。お世辞にもきれいとは言えない家だったが、家族が寄り添って精一杯生活する姿が感じ取れた。そしてなにより、そこに訪ねて良かったとおもえた出来事は、私たちが突然訪ねたにもかかわらず、その時も彼は教科書とノートを広げて勉強していたことだった。そうだ、彼らは少しの学費があれば必ず勉強するし、もっと勉強できるのだ。少しでも私の鉛筆がお役に立てることを心から願ってここを後にした。
2日目、私は本部を訪れた子供たちにやっと手渡しで、鉛筆やチョコレートを渡す事が出来た。ある子供は、三菱のなんでも無い鉛筆を何度も何度も見返し、ある子供はチョコレートをさっそく口にほうばり、私にニコッと笑いかけてくれた。それを見たバーナリーが私に「人は食べる事で精一杯で、子供たちはめったにチョコレートやお菓子を食べる事が出来ないから、今日は皆ハッピーなのよ。」と。

今回の旅では、タイやベトナムを回り、その後インドへ入国したのだが、どの国も十分食べることが出来ない子供や学校に行けない子供たちが、道に溢れていた。だが、皆まっすぐで純粋で私には美しく思えた。ただ、日本の子供と違うところは、貧しい子供は生きるための「知恵」をたくさん持っているということだ。時には悲しく思えるくらい、ある子供は自立した顔つきをしていた。きっと、どの子供も学校という「道具」が与えられれば、必ず勉強するだろう。そして可能性を広げる事が出来る。

今回は、たった2日間しかIIMCにいることができなかった。ある意味では自分自身が無責任だったのかもしれないと思う。インドに行くまでは全くこのようなボランティア活動に興味が無かった私だが、前回訪れた際に、アグラの田舎町で鉛筆を買えない子供や地面に字を書いて勉強している子供たちがいる事を知った。勉強できない事の現実を知らされた。それが今回ここを訪ねるきっかけとなっていたのだが。たいした事は出来ないかもしれないが、子供たちの人生の中で、うれしいとか楽しい、おいしい、幸せだ、と思えう瞬間が一つでも多くあれば良いと願う。そして、幸せを感じながら誰かの手助けが出来るなら、私にとってもそれは最高であるだろう。病気の人があれば薬を分け、食べられない人があれば食べものやお金を分ける。それが普通に、そして、ごく自然に与えるものも受けるものもなされていた。階級も宗教もそこには存在しない。ただ人の愛情で成り立っていたのだ。その様な中にいれたことが私には誇りであり、喜びだった。言葉では上手に伝わらないかもしれないが、そこにいる誰もが素敵に見えたのだ。

忘れないだろう。いつも朝、バナナをくれたバーナリー。「柿の種」が大好物のマンダル先生。穏やかな口調で学校を案内してくれたタポス。「スリに気を付けるように。」と心配そうに列車に乗せてくれたオビ。そして、皆の握手が固かったこと。別れる際にバーナリーが言ってくれた。「Mami, Everything is all right!」を。

私は、いつか必ずここに戻るだろう。そう。また、突然